今日は、東日本大震災から11年目の慰霊の日でしたね。
震災でお亡くなりになった方が1万5900人ということで、どれだけ大きな災害だったか。。。と改めて気づかされます。
私は大阪にいたので直接の被害はありませんでしたが、それでもやはり、津波や原発など震災にまつわる大勢の方の苦しみが、体験していなくても心の痛みとして感じられた記憶はあります。あの時に日本にいた誰もが、同じ感覚だったのではないでしょうか。
そしてもう1つ、私にはとても印象深い思い出があります。
それは、震災でたくさんの方が無くなったことがスピリチュアル的にどんな意味があったとか、いろんな言説が出てきたこと。
”祝福”だという意見もあれば、東北の人達のカルマだという意見もあったり。
それで、私はと言えば、「どうなんだろう。。。そもそも、生きてる人間が頭で判断できるものなんだろうか?」と、そうした話が出てくること自体を疑問に思っていましたし、今でも同じように考えています。
結局のところ、亡くなられた方にしか本当のところは分からないわけで。。。1万5900人の方のお一人おひとりが、それぞれこの地球に持ってこられた魂の青写真や課題も違うでしょうし、「よく頑張った。これで天に還って一息つける」と思う方もいたかもしれませんし、「まだ途中だったのになあ。。。」と残念に思う方もいたかもしれません。
今日、あるお友達からお母様が亡くなられた、というご報告を受けました。
それで、お祈りを捧げようとそのお母様の魂にアクセスしてみたところ、何とも言えない安らかで美しい光を感じました。
一か月以上前に遠隔ヒーリングをさせて頂いたのですが、その時とは全然違っていて、肉体を持った人のエネルギーとは違う、もっと周波数の高い光の粒子そのものの感じでした。けれど、長い人生を全うして力強く生き切られた、そんな圧倒的な感覚がありました。
死というものを魂の視点からみると、確かに”祝福”と言えるかもしれません。痛みがあったり、怒りや悲しみを感じたりする肉体のいろんな煩わしさや制限を超えて、光に包まれて安らかな領域へと移行できるのは、きっと素敵なことなんだろうなと思います。
もちろん、私は臨死体験とか死の手前まで行ったことがないので、本当のところは分かりません(^^;)
臨死体験をした人が書いている文章を読むと、大抵は「まばゆい光のトンネルを通っていくと花畑があって云々」と書いてあって、それが施術の時に感じる強烈な光の領域と近いんじゃないかな、と思っているだけで。
なので推測でしかないのですが、肉体を持った人間から魂への移行というのは、きっと素晴らしい体験なんだろうなと。だから死を”祝福”だと表現するのも分からなくはないです。
ただ、残された遺族や関係者にとっては、とても”祝福”ではないですもんね。。。人間なので(T_T)
ということで、私は、やっぱり、魂の視点だけじゃなくて人間の視点も大事にしたいなあ。。。と、思うのです。魂から見ると素晴らしい学びの経験であっても、人間から見るとものすごい痛みを伴う体験であることも多いので。家族の死とか離婚とか災害とかリストラとか。
もしかすると、この先に臨死体験とか死に近い体験をすることで、また考え方も変わってくるかもしれませんが、それでも魂の視点と人間の視点を両方持っていたいなあ。。。と思うのです。